紙芝居劇むすび



婦木さん葬儀

ご心配をおかけしていた婦木さんのその後。
金曜にお通夜と 土曜に葬儀をとりおこなうことができました。
死から1か月近く 婦木さんも 仲間も 落ち着かない日々でした。

地域の関係者の方々と むすびとずっと関わってくださっていた僧侶の川浪さんのおかげで
立派に婦木さんを送り出すことができました。

お通夜 葬儀では 川浪僧侶が口語体のお経や解説を取り入れてくださり
死を受け入れるということをわかりやすくしてくださいました。
婦木さんが亡くなってからというもの ずっと悲しみも実感として感じられずにいたのですが
お経を聞きながら ようやくひとつひとつの思い出がよみがえり
涙がでてしまいました。

火葬場まで婦木さんを見送り(お骨は当面役所の方で預かるそうです)
エッグスに帰ったおじさんたちからは 「なんかようやく肩の荷がおりたかんじやな」
と 安心の声が聞かれました。

「死んだら泣いてくれる人がおるんなら がんばらんとな」 とも。

おじさんたちは今回の婦木さんの死を通して
自分たちをとりまく地域の見守りの目を 意識できたにちがいありません。
これだけたくさんの人が関わり 助けてくださっていることを知る
機会になろうとは。

むすびは おじさんたちを中心に
とてもあたたかな光につつまれて幸せだと思いました。

お忙しい中参列くださったみなさま 葬儀の実現のために尽力くださったみなさま
ほんとうにありがとうございました。


以下に釜ヶ崎のまち再生フォーラムの事務局長・ありむら潜さんがお書きになった
葬儀の感想を掲載させていただきます。
釜ヶ崎の変遷を長年見てこられた方ならではの独自の視点はとても勉強になります。

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1)
昨日の婦木廣文さん(74歳)の葬儀のもよう。
紙芝居で最晩年にはロンドンまで行かれた、元研磨工のおっちゃんです。
死因は持病のぜんそく関連のようです。
お通夜も葬儀も仲間や支援者に見送られての旅立ちとなりました(両日で30人程度か)。
お見送り実現のためにご苦労なさった関係者のみなさま、ありがとうございました。
お疲れ様でした。
勝手な言い方ですが、ご本人はたいへん満足されていたにちがいないと思います。
見送った生活保護受給者の方々も満足されていました。
「悲惨な釜ヶ崎」「孤独の釜ヶ崎」いろいろな釜ヶ崎がありますが、そこには「あたたかい釜ヶ崎」がありました。
葬儀社でのわずか10人程度しか座る所のない、小さな小部屋というささやかさがむしろ良かったと思います。

1999年以前の釜ヶ崎であれば、間違いなく「行旅死亡人」とされ無縁仏扱いされていたケースでした。
この10年間の、まちづくりという言葉に包摂される、さまざまな立場の人々の有形無形の模索の到達点、結節点がここにありました。
社会福祉法人等の施設入居者の場合は当たり前としても、それ以外では民間のサポーティブハウスや自助組織(NPO)などにも、無縁仏にさせずお坊さんも呼び、みんなでお見送りできた実績やノウハウが蓄積されています。
病院と葬儀社の永年の「慣行」など古く厚い壁の前で苦労されているのですが、あまり知られていないのが残念です。

課題は、良き事例をどうやれば地域全体に普遍化させられるか、ですよね。
そのためにはまず生きているときの「つながりづくり」が課題、ということになります。
婦木さんはアパートでの独り暮らしでしたが、紙芝居活動参加によってそれに成功した方でした。
しかも、紙芝居に参加したのは全くの偶然だったはずです。
つまり、ここには多くのことが示唆されていると思います。

2)
婦木さんの無縁仏扱いをやめさせたお1人であり、そのお通夜とお葬式で読経してくださった僧侶、川浪さん。
昨日の婦木さんの葬儀でいえば、これまで参列者にはチンプンカンプンだった読経の内容をわかりやすく口語体に直して読み上げるという試みもなされ、「参列者とともにつくる」という姿勢が鮮明で、その点もよかったと思います。

以上、現在の地域課題の一つについての参考情報でした。
by musubi-pro | 2009-06-20 22:38 | むすび日記
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西成・釜ヶ崎で紙芝居をするおじさんたちの表現活動